通夜当日。朝から目まぐるしく時間が過ぎていった。やるべきことが山積みで、気持ちが追いつかないまま準備を進めるしかなかった。葬儀社との打ち合わせ、会場の設営、参列者への連絡――気を抜けば、悲しみが一気に押し寄せてしまいそうで、ひたすら動き続けた。
遺品を少しだけ準備した。彼女が大切にしていたもの、思い出の詰まった品々を選びながら、胸がえぐられるような感覚に襲われた。彼女が触れていたもの、日常の中に当たり前にあったもの。それらを祭壇に飾ることが、「もう彼女が戻ってこない」という事実を突きつけてくる。手に取るたびに涙があふれそうになり、何度も深呼吸をしながら作業を続けた。
そんな中、100人以上の友人が駆けつけてくれた。
彼女の大学時代の友人たちも多く、懐かしい顔ぶれに胸が熱くなった。彼女と大学は違うものの、結婚してから彼女にに連れられて一緒に飲みに行った。みんな優しく楽しい彼女の友人だった。あの頃の思い出がよみがえり、賑やかに笑っていた彼女の姿が頭に浮かぶ。楽しかった時間があったことが嬉しい反面、それがもう二度と戻らないという現実が、胸に深く突き刺さる。
職場の同僚たちもたくさん来てくれた。妻と共通の友人が多かったから、顔を見るたびに、彼女と過ごした時間が思い出された。仕事終わりの飲み会、他愛もない会話、冗談を言い合って笑い合った日々。そんな何気ない日常の積み重ねが、今はただ懐かしく、そして切なかった。
通夜が進むにつれ、ふと我に返る瞬間があった。
「自分は今、何をやっているんだろう?」
喪主として、参列者に挨拶をし、深々と頭を下げる。けれど、どこか現実感がなかった。まるで、自分ではない誰かが、ただ儀式をこなしているような気がした。
「誰の喪主をやっているんだ?」
考えたくないのに、その言葉が頭の中で響いた。妻のはずがない。そう思いたかった。けれど、目の前には、彼女を見送るために集まってくれた人たちがいる。そして、祭壇には、もう目を開けることのない妻が横たわっていた。
現実を受け止めることが、こんなにも苦しいとは思わなかった。
それでも、ここに集まってくれた人たちには、心から感謝したいと思った。彼女が生きた証が、こんなにも多くの人の心の中に残っている。彼女が笑い、支え、愛されていたことを、改めて感じることができた。
泣いてくれる人がいる。彼女を惜しんでくれる人がいる。
そのことだけが、今の自分にとって、唯一の救いだった。
コメント